特別養護老人ホームたんぽぽ苑 清掃職員 上野
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去年の10月より清掃で働いてます、上野です。
このたんぽぽ苑では、まだ6ヶ月の新人でまだまだわからないことばかりですが、清掃としてたんぽぽ苑の力になるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。
今回は、私がたんぽぽ苑に入る前までの間で経験してきたことを話そうと思います。
私は、中学を卒業し地元の高校ではなく大垣のファッションの学校に行きました。
5年間大垣に居ました。
中学3年のとき、自分は何がしたいのかわからなくって悩んでいました。
担任の先生に相談に乗ってもらうと、数学担当の先生が岐阜方面の人で「上野さんにあった高校が大垣にあるよ」と教えてもらい、両親と見学に行きました。
すると「自分でデザインした服を作ってファッションショーに出たりするんだよ」と聞いて、得意ではなかったけど絵を描くことが好きだったので、自分の中でこの学校に行きたいと思いました。
それから私はいろんな人に話しをして、自分から大垣の高校に行くと決めました。
尞生活ではなく一人暮らしをすることになり、不安もあったけど兄「次男」が近くに居たから安心して5年間頑張ることが出来ました。
5年間大垣に居て、いろんなことを学ぶことが出来ました。
自分でいろんな服を作ったり、専門課程で最後の作品作りでウェディングドレスを作りました。
それから私は地元に帰り、就職活動をしました。
しかし、なかなか上手くいかず就職するまで時間がかかり、両親には迷惑を掛けました。
でもちゃんと探し見つけたのは、古川町のファッション関係の仕事です。
そこでは、3年間続きましたが辞めてしまいました。
辞めたあと、それからしばらくの間なかなか次が決まらず悩みました。
すると父が「仕事がみつかるまでお父さんの仕事手伝って」と言ってくれ、奥飛騨温泉郷の中尾地区にある、さぼう塾と言う施設の掃除をしたり父の代わりに鍵の開け閉めの手伝いをして来ました。
その後ファッション関係の仕事に入ったのですが上手くいかず、すぐに辞めてしまいました。
しばらくすると仕事が決まりました、入ったのは飛騨市民病院の清掃でした。
しかし4年間働き、この4年間の間でいろんなことが起こり、辛い思いをし、耐えることが出来ず去年の8月に辞めました。
私は、人とコミュニケーションを取ることが苦手で人見知りなところがあり、人間関係が上手く行きませんでした。
また両親たちに迷惑をかけてしまいました。
しかし、たんぽぽ苑の職員さんの中で私のことを知っている方が居て、その方に紹介をしてもらいたんぽぽ苑に入ることが出来ました。本当に感謝してます。
たんぽぽ苑の皆さんは本当に良い方ばかりで、働いていて楽しく出来ているので良いとこが見つかったなと思いました。
これからも続けれるよう頑張ります。
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職員からのメッセージとして、リレー形式で職員のエッセイを綴っています。
これまでの職員からのメッセージはコチラ→https://tanpopoen.or.jp/letter/category/message/