ホームヘルプサービス サービス提供責任者 橋本

何を 書こうか・・・ いざ順番がまわってくると目ぼしいことが無く 書くことが無い

んー・・・

子どもの頃の話なんて 誰も知りたくないだろうし

現在の 仕事の話は 封印します

山の村の話しは まっ いいさ・・・

私の両親が亡くなってもう10年以上経つのに いまだにある一定時期の記憶が思い出せないことがあります。

母の七七法要が 終わった辺りから その年の今の時期くらいまでの記憶がまったく思い出せません。不思議なくらいです。

そのときの自分はちゃんとご飯食べていたのか?

そのときの自分は毎日何をしていたのか?

そのときの自分は何を考えていたのか?

ずっと息を止めていたように思います。どんなものに対しても感心が無く 感情も湧かず

笑いもせず、涙も出ず たぶん蝋人形より冷たく 般若の面より険しい顔をしていたのではないかと 想像します。

やつと涙が出て 感情的になり声を上げて泣いたのが 年の瀬も迫ってきた今頃だったと思います。

ある夜不思議な夢を見ました。

100年?以上前の橋本家に裃を着た男の人たちが 薄暗い奥座敷で何やら難しい話をしていました。

「よわったなー」「そやなー」「どうするな?」

またある夜は

学校の校門前に母が来ているから早く来なさい!と言われ出て行くと 確かに母でした。

それもゆかんする時に着せた着物と はかせた下駄をはいて 「どうしたの?」ときくと

「おりゃ 心配で心配で・・・」「こんな処におってだめやさ 行くとこ行かんと」と母を追い返してしまいました。

はっと目が覚め もう一度会いたいとおもい眠りにつきましたが 夢に出てはてくれませんでした。

1つだけ思い出せるとしたら 泣きながら食べるご飯は 喉につまり 味もなく その事に腹を立て茶碗ごと壁に投げた事くらいです。

そんなことを思いながら 今までだだくさに生きてきましたが

両親の死で1つ分かったことは たとえ別れた相手でも生きていれば いつかは会える。

そんなことで泣くなんて馬鹿らしい。という事。

人間の腹の裏表もよく見せて頂きました。

だからいつもにらみ付けた顔なのかも知れません。

今年人生の折り返し地点に来てこれまでの自分を振り返ってみたら 今書き込んだことが今までの人生の中で1番衝撃を味わったことです。

これからの40年(20年でもいいや)どんな人生を送るのか・・・

どんな衝撃的なことがあるのか

もう泣きたくは無いです。

たくさんたくさん笑って・ひたすら笑って過したい。


職員からのメッセージとして、リレー形式で職員のエッセイを綴っています。次回は、特養介護職員 上葛(晶)の予定です。