私は、七人姉兄妹の上から五番目に生まれた。
私の子供の頃は、神岡鉱山も活気があり、夕陽丘・旭ヶ丘・栃洞・茂住等、鉱山の社宅も人が沢山いた。
子供達も、ごろごろと大勢いたものである。
貧乏人の子沢山とはよく言ったもので、我が家は、その見本のようなものだった。
食事は、ごはんと味噌汁と漬物の毎日。
しかし、私は物覚えのついた頃から、あの漬物の、しなーっとした感触や匂いが大嫌いで、なかなか口の中へ入らず残してばかり。
母はそんな私を見て、
「大人になって、何処の家に行っても、お茶と漬物は必ず出される。そこで残すのは失礼になる。今のうちに、しっかり食べれるようになりなさい。」と言い、私が食べ終えるまで、皆と外で遊ばせてもらえなかった。
しかし、嫌いな物は、嫌い。
姉兄妹は、さっさと食べて遊びに行く。
私は、なかなかのどを通らず、1時間以上かかって、やっとで食べ終える。
ある日の食事の時。
私が味噌汁のおわんを持ったまま、横を向いて妹と話をしているすきに、隣に座ってた姉が、そーっと私の味噌汁の中に、たくあんを入れた。
私はそれを知らず、前を向いて、味噌汁を飲んだ。
ん? 何か変な物が入っとる。
「ギャー 漬物やー !」
私が鳴きそうな声で叫ぶと、姉が、腹をかかえて大笑いした。
私は、味噌汁を飲む度に、姉と漬物を思い出すし、今でも漬物は、食べれない。
職員からのメッセージとして、リレー形式で職員のエッセイを綴っています。次回は、旭ヶ丘デイサービスたんぽぽ苑 介護職員山口の予定です。